あなたは一万円札を破ることができるでしょうか/価値の源泉は意識
お金というと、食事をしたり衣服を買ったり、いろいろなサービスを受けたりと、必ず必要なものです。1日のうちでもなんども触れるものではないでしょうか。
私もお金を財布に入れるときは、お札の方向をそろえて入れたりとか、千円どうし、一万円どうしというように同じ金種を束ねるようにするなど、気を使っていました。
「お金は大事にしなければならない」という意識が、そのような行動に表れていたのだと思います。
しかし、あるとき、思い切ってお札を破ってみる機会がありました。
極めて抵抗がある行為ではありましたが、破ってみると意外な発見がありました。
一万円札を破ってみたら紙だった
当たり前の話ですが、日本のお札は紙でできています。ヘタレないように丈夫な紙が使われていますが、紙であることは確かです。
ただ、私もすぐにお札を破れるほどの勇気があったわけではありません。
最初に「一万円を破ってみよう」と思い立ってから、実際にお札を破るまでは1週間の時間が必要でした。
東京の表参道の喫茶店で知り合いの前で破ってみせたのですが、そのときは、案外あっさりと破くことができました。
お札の材質は紙なので、破く時の質感や破れる音、破れた一万円札の断面など、つぶさに観察してしまいましたが、やはり紙そのものです。
今まで大事にしまってあった一万円札が、あっという間に「紙」に変わってしまった瞬間でした。
破った一万円札は価値が急落
さて、破ってしまった一万円札は、ちょっと前までは「一万円」の価値があったものでしたが、真っ二つになってしまったお札は、そのままではお店で受け取ってくれないでしょう。
たまたま喫茶店で破りましたが、コーヒーの代金を支払うのに、破った一万円札を差し出すのは気が引けます。
ただ、破った一万円札に、まったく価値がなくなってしまったかというと、そうでもなく、銀行に持っていって本物と確認されれば、手数料なしで新しい一万円札と交換してくれます。
(とはいえ、自分で破ったのでなんだか銀行にお手数をかけてしまうような気がして、そのまま家に保管してありますが…)
破れた一万円札は、実生活では価値の交換機能が失われてしまったわけです。たとえ、受け取ってくれたとしても、銀行に持って行って交換する手間が発生するので、その手間代の分が減損することになるでしょう。
実生活では事実上、一万円札としては、使えないものになってしまいます。
一万円札の価値ってなんだろう
そこで、破く前の一万円札と破いた後の一万円札の違いはなんだろう、ということになります。
2つに破いたくらいでは、元の一万円札に交換してくれますが、シュレッダーなどでビリビリにしてしまうと、いくら銀行でもすぐには交換してくれませんし、鑑定して一万円札と認められなければ、本当にただの紙になってしまうわけです。
結局、一万円札を一万円の価値があると決定づけているものは、「信用」と言われている私たちの意識です。
一万円と印刷されたこの紙は、どこに持って行っても商品やサービスと交換できると、みんなが信じているという意識です。
でも、よく考えてみると、これは不思議なことです。
「これには価値がある」と信じた人が多くなれば、紙切れでも価値が生まれてしまうわけです。
破れた一万円札が元の一万円よりも大幅な価値が生まれる時
破れた一万円札は、そのままでは実生活で使うことは難しいです。商品やサービスとの交換価値はほぼゼロになってしまいます。
しかし、もし、その破れた一万円札に印刷されている記番号がAA7777777とかだったらどうでしょうか。
破れていても価値がゼロどころか、1万円以上の値段がついてしまう可能性はあるでしょう。
また、一万円を破った人がマイケル・ジャクソンだったら、どうでしょう。
「マイケル・ジャクソンが生涯で最後に破った一万円札」ということで、破格の価格がついてしまうかもしれません。
ただの紙切れなのに、その紙に価値を見いだすのは私たちの「意識」なのです。
破れた一万円札の価値がゼロになってしまうのも、一万円以上の価値になるのも、私たちの意識次第、ということです。
お金=意識=エネルギー?
お金の価値が意識によって決定づけられているとすると、お札の本質ってなんだろうな、、、と思います。
私たちはお札のことを「紙に印刷された数字」をものすごく価値のあるものだという意識があります。
でも、実際には、簡単に破けるような紙ですし、お札を物体として考えた時には、20円くらいの製造コストだと言われています。
20円を一万円まで押し上げているものは、私たちの意識であり、それは目に見えないなんだかわからないものです。
そして、特に日本人は現金への信用(意識)が強いため、1万円は一万円として確固たる価値を保持し続けています。
日本銀行が金融の量的緩和政策で、じゃんじゃんお札を刷って市中に供給していても、数年前の一万円札を今の一万円札の価値は変わっていないと信じているでしょう。
理屈では、お札の数が増えまくっているので、数年前に比べて価値が薄まっているはずなのですが、意識の力で一万円の価値はまだまだ健在です。
でも、「一万円札って、こんなにいっぱいあるんだったら、一万円の価値がないんじゃないの??」なんて思い始める人が多くなると、途端に急低下してしまう可能性もあります。
価値の裏付けは「意識」だからです。
意識が価値を裏付けるなら価値を生み出すのも意識
価値の裏付けが意識であれば、何も持っていなくても希望はあります。価値を生み出すのも「意識」だからです。
それは、「何もないところから価値を生み出す」ということにもつながります。
今流行り始めたビットコインなどの仮想通貨も、究極に分解していけば0と1で構成された単なるプログラムデータです。でも、「これには価値がある」と多くの人が意識し始めたから、現実的にもお金で測れるような価値が生まれました。
仮想通貨に限らず、例えば伝統的な絵画でも、究極的には、キャンバスと絵の具で形付けらたデザインです。そのデザインが放つ光の波長が瞳の網膜に届いたものを脳が認識して「どうやら、これは価値があるかも」という意識が芽生えるのです。
そうすると、価値の源泉は意識、ということになります。
意識は人間であれば誰でも持っている固有のエネルギーです。ちょっとスピリチュアルっぽくなってしまいますが、意識って目に見えないものだから、なんとなく、なんかのエネルギーだ、と言っても理解できるのではないでしょうか。
「意識を使って価値を生み出す」
その力は、誰にでもある。そう考えると、それ自体が希望になります。
お金を破ってみると、「あぁ、一万円札もただの紙でできているんだ」というのが、生々しい実感としてわかります。そして、その一万円たらしめているのが、どうやら自分の意識や思いということにも気がつくでしょう。
まとめ
一万円を破るなんて、本当に抵抗のあることでした。しかし、実際に体感してみないと本質は見えてきません。
破ってみるとただの紙ですし、元の一万円札っていったいなんだろうと思います。
「お金はエネルギー」ということも聞いたことのある人もいるかもしれませんが、お札や貨幣は、そのエネルギーを見えるものとしてシンボル化したものにすぎません。
昔、お金は貝殻だったものが、金貨や銀貨などの貨幣になり、さらによりコストが安い紙幣になりました。そして、クレジットカードや電子マネーなどのように電子化され、そして、今は仮想通貨というデータそのものがお金に近いような役割を果たそうとしています。
そう考えると、本来の「お金=エネルギー」という、だんだん実態のないような、エネルギーに近いようなものに、お金の姿が移行しているようにも思えます。
そして、お金がエネルギー(意識)であるならば、意識を持っている私たちは価値を生み出す力を持っているということです。
さぁ、明日はどんな価値を生み出していきましょうか!