自分を生きる、活かしてくれる社会のために

自分を「ON」にして切り抜けていく/ガラス作家:大河内愛美さん

 
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心理カウンセラー/調香師 「すべての人が自分らしく生きられる社会」を夢見て、心優しくも励ましが必要な人たちの手助けになればと思っています。 フレグランスデザインでは、あらゆる香りを創ることができます。
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難病のレックリングハウゼン病を患いながらも、精力的に作品を生み出すガラス作家の大河内愛美さん。

子どもの頃は、友達も作れず暗黒時代を過ごしたという大河内さんですが、他人と関わることに恐れを抱きながらも、前向きに生きる姿は、きっと内気な人でも希望を見出すヒントになると思います。

 

それでは、どうぞ。

 

私の小学校時代は黒歴史

 

子供の頃は愛知県名古屋市で育ちました。小学生の頃は私にとっては黒歴史なので、ほとんどいい思い出がないのです。
低学年の頃から中学生までずっとずっといじめられていて、学校にいくのがいやで仕方がありませんでした。

 

特に、一部の男子からは、ひどい暴言を浴びせられていました。いつか殺されるのではないかと恐怖を感じていました。
靴が隠されていて自宅に帰ることができないこともしょっちゅうで、本当に学校には行きたくありませんでした。

 

一方、周囲の女子たちは見て見ぬ振りでした。もちろん、いじめてこない人もいたのですが、みんな何を考えているかがわからないので、相談したり話しかけたりすることも怖くてできませんでした。一体誰を信じて良いのかわからなかったのです。

 

だから、「学校にいる間は、ずっと一人を貫こう」と考えていました。

 

「どうして私がいじめられるのだろう」

その原因はわからなかったのですが、今になって思うと、自分の病気のことでいじめられていたのかな、と推測しています。

 

難病のレックリングハウゼン病(神経線維腫症1型)

 

私の病気、レックリングハウゼン病は、遺伝子疾患で3千人に1人くらいの割合で発症すると言われています。ほとんどの原因は遺伝のようですが、私の場合は突然変異による疾患です。

 

生まれた時から難病であることは間違い無いのですが、自分がレックリングハウゼン病だと自覚したのが高校生の時でした。

ずっと気にはなっていたのですが、高校生の時に親から買ってもらった携帯電話で調べたら、自分は難病なのだと認識したのです。

だから、小学生の頃から始まったいじめは、身体にあるできもののことが原因なのかな、と思ったのです。

 

小学6年生の時に「ガラスをやりたい」という夢を持つ

 

小学生の頃には楽しい思い出は本当にないのですが、小学6年生の時に「ガラスをやりたい」という夢を持つことができたのがせめてもの救いでした。

それが一つのターニングポイントでもありました。

 

TVチャンピオンという東京放送系の番組を偶然見て,吹きガラスの職人さんがいることを知ったのです。それを見て直感的に「これだ!」と感じました。

中学校1年生の夏休みに、吹きガラス体験で小さなコップを作りました。とても楽しかったことが思い出されます。

中学1年生の時には、すでにガラスを学ぶことができる大学を探して志望大学を決めていました。

そんな感じだったので、「大学生になったら、ガラスができる!」という夢だけを励みに、中学も高校も過ごしていました。

 

高校に進学してからは、ようやくいじめはなくなりましたが、私にはずっと友達もいなかったので、コミュニケーション力が育っていませんでした。

高校でも「またいじめが始まるのではないか」と疑心暗鬼になってしまい、自分のほうからは、会話することができず、友達もなかなかできませんでした。人と関わること自体が怖かったのです。

 

大学でようやくガラスにたどり着いた

 

高校時代に、ガラスを学べる大学のオープンキャンパスに参加して、どの大学に進学しようかと考えていましたが、最終的には、名古屋芸術大学美術学部を選びました。

 

大学では、ガラスの様々技法が学べるので、ようやく人生で一番楽しく充実した毎日を過ごすことができました。

 

高校に入学した初日には「早く卒業して大学に行きたい」と考えていたくらいなので、本当に「やっとたどり着いた」という感じです。

 

吹きガラスだけではなく、電気釜を使って制作するガラスアート(キルンワーク)や、炎でガラスをあぶって形を作っていくバーナーワークなどを学んで行きました。

でも一番楽しいと感じたのは、やはり吹きガラスでした。

 

美術学部だったので、木や石など様々な素材に触れることができたのも、創造の幅が広がりました。
「ガラスと他の素材を組み合わせたら面白いだろうな」などと考えていました。

大学時代は一生懸命に美術の課題をこなして基礎を身につけていきました。

 

大学を卒業すると、同級生は就職していく人が多かったのですが、私はさらにガラスが学びたいと考えていました。そこで、瀬戸市新世紀工芸館に2年間通うことにしました。そこでは講師はおらず、工房を自由に使って、ひたすら自分の作品を作っていました。

 

現在作っているグラス類も、新世紀工芸館にいる時に編み出したものです。私の代表的な作風である「しゅわしゅわ感」のある模様づけは、実験的な作品を作っていく中で生まれたものでした。

「どうやったら、美しいシュワシュワになるのか」を追求していた2年間でもありました。

しゅわしゅわした泡模様は、適当にやれば出現するのではなく、ガラスに入れる着色剤の色によっても出方が違ってくるのです。

 

様々な実験してみる中で、泡の模様がたくさん出るとか、細かく密集しているとか、ところどころにポツポツ出たりするものとかいろいろあるのです。

うまく模様が出ない色もあるので、そうした色は使わないようにしています。黄色、青、オレンジ、緑が美しいシュワシュワが出てくれるようです。

 

人とのつながりで表舞台に

 

自分の作品をたまたま出展していたところに、展示会の関係者の方が訪れることがありました。
「百貨店への出展に興味はあるか」とお誘いを受けて、デパートへの出展が叶うこともありました。

ほとんどの出展は、私と展示場の間に、必ず誰か人が存在していて、私の作品が企画に合ったら、声をかけてもらうパターンが多かったと思います。

本当に、たまたまの出会いが、すべてつながっている感じです。

 

私は、小学生から中学を卒業するまで9年間はずっといじめられていて友達もいませんでしたし、その余波で、高校時代も人とコミュニケーションをうまく取ることができませんでした。友達もほとんどいませんでした。

そんな私が、人とのつながりでお仕事をさせていただいていることが、とても不思議に思います。

 

2019年の夏には、東京の渋谷ヒカリエで出店することができました。これも、ネットショップサイトのBASEのセミナーに参加したことで、イベントのキュレーターの方と出会ったのかがきっかけです。
そう考えると、全部、人との繋がりです。

今までが最悪の人生だったから、その分を埋め合わせているような感じかもしれません。

 

自分をオン!

 

私は、あまり笑わないし、表情も豊かではないので、他人からは、近寄りがたいとか、声をかけにくいと言われることが多いのです。私には、コミュニケーションをよくする技術や、話しかけられるテクニックはほとんどありません。

 

でも、出展していると人と話す機会が多くなります。本当は口数も少なくペラペラ話せないけれど、お客さんと会話して、自分の作品に興味を持って欲しいので、スイッチをオンにして話している、という感じです。

 

対面で喋っている時は、「オン」の状態になっているのです。オフだとほとんどしゃべることができません。特に、ガラスと関係ないプライベートな場面だと、ほとんどしゃべることはなくて「ふんふん」と人の話を聞いているだけのことが多いです。

 

一時的にでも、自分をオンにすることは一つのポイントかな、と思います。

では、会話が苦手な私が、どのようにしてオンにしているかと言うと、まず私の作品を見てくれているお客さんには「こんにちは」などと、なるべく挨拶するようにしています。

 

その中でも、興味を持ってくれているような人には、どのように作品を作っているのかを話してみるのです。
すると、お客さんのほうも「私はこういうものですが・・・」と自己紹介してくれたりするのです。

 

就職はせずにフリーランスへの道へ

 

新世紀工芸館を卒業したら、就職した方がいいかな、とも思いました。一応、他の工房を見に行ったり、入社試験を受けたりもしました。でも、やはり就職はしないで、自分でやっていこうと決めました。

 

新世紀工芸館では、作りたい作品を自由に作ることができましたが、就職すると自由に作品を作ることもできません。賃金も地域最低賃金を下回るようなところもあって、どこかの工房に就職することは得策ではないと感じるようになりました。

そのようなことをするのであれば、工房をレンタルしながら、アルバイトをしていた方が稼げるのではないかと思ったのです。

 

現在は、アルバイトで生活の足しにしながら、工房をレンタルしながら作品を作っています。出展や販売ができるイベントがあれば出店し、BASEサイトのようなネットショップでも作品を販売しています。

特にイベントに出店すると、かなり売上があがるので、積極的にリアルな場でも出店していくようにしたいとは考えています。

 

ネットショップでは写真しかないので、ガラスの重さや質感などは伝わりにくいと感じています。その点、対面で販売すると、ガラスの特徴がよく伝わって売れていくのです。ネットと対面での販売実績としては2:8くらいの割合です。やはり対面販売した方がよく売れます。

イベントでは自分をオンにしていくしかありません。そうやって何とかしているのが現状です。

 

また、継続して売り上げを上げていくために心掛けていることは、ツイッターやインスタグラムなどのSNSでの発信を怠らないようにすることです。

 

レックリングハウゼン病のことも知って欲しい

 

自分の難病については、受け入れているように見えて、受け入れ切れていないというのが本当のところです。やはり難病がないに越したことはありません。

 

ただ、そうした中でも、私はガラスをやっているので、有名になれる要素はあると感じています。私が有名になることで、この病気も世間に広まるのではないかと考えています。そうなったら、もっと自分の病気のことを積極的にカミングアウトしてもいいかな、と思っています。

 

ガラスの創作活動をしている中でも、作品を購入してくれたお客さんが「大河内さんは難病を患っているんだ」と知ってもらうことで、この病気に関心が向くのではないかとも思っています。そうして認知度が上がって病気に対する偏見がなくなっていけばいいなと感じています。

 

私自身もそうですが、レックリングハウゼン病を患っている人が、見た目の偏見で嫌なことを言われたり、いじめがなくなったりするといいなと思います。

 

実際にレックリングハウゼン病の人のTwitterなどを見ていると暗い人が多いので、「大河内愛美がいるから大丈夫だ」と思ってくれればいいな、と思っています。

 

私は症状が軽いかもしれないけれど、病気のことを公言してくれて活動している、ということがわかれば、同じ難病を患っている人の励みになるのかな、と思っています。

逆に「自分も難病だけれど、大河内さんのほうが症状が重かった」という感想を持つ人もいるかもしれません。

 

「大河内愛美のように症状の重い人が、世の中で活動しているのに、どうしてそんなに自分は悩んでいるのだろう」
と感じてくれればいいなと思います。私が希望の星になればいいなと思います(笑)

 

レックリングハウゼン病という病名を知ってほしいということもありますが、病名だけではなく、その内容までも知ってほしいと考えています。

 

また、私が自分の難病を公言するのは、自分の自己防衛でもあると気がつきました。

私がこの難病を患っていることを知ったら、私から離れていく人もいるのではないかと思ったりもします。世の中には障がい者を白い目で見る人もいると思うのです。

私はそのような人と関わりたくないなと感じていて、私が難病を公言していれば、そもそもそういう人たちは近寄ってこないと思うのです。
はじめからカミングアウトしていると自分に必要な人しか残らないと思います。

 

アンチができるまで頑張りたい

 

現在は、SNS上で発信していても、嫌がらせを受けたりしたことはありません。これは一見良いことのように思いますが、アンチがいないということは、発信力が弱いのではないかと感じています。そこまで認知度が上がっていないのかなと思うのです。

アンチの人は何をしても言いがかりをつけてきたり、嫌がらせをしてきたりすると思うのです。まだ私にアンチがいないということは、私にあまり発信力がないのではないかと感じているのです。

 

私はアンチあってこそだと思っているのです。実際に、YouTubeをやっている人の話を聞いていても、アンチの人が一番自分のことをよく見てくれているというのです。何かあれば、アンチの人が一番最初に反応してきて文句を言うようです。

それって、常にその人のことを見ている証拠だと思います。アンチはどういう理由であれ、その人のことを気にしてくれる存在だと思うのです。だから、私もアンチができるように頑張ろうかな、と思います。

 

もうずっといじめらすぎて、何を言われても気にしなくなりました。昔言われたあの言葉よりもマシだ、と感じてしまうのです。

 

ちょこっとQ&A

Q:
大河内さんは、いじめられている期間が長くて他人との関わりを持つことに苦手意識を持っているとのこと。ほとんど会話をしないそうですが、そうした内気な人でも世の中でめげずに生きていくのは、どのようにしたらよいでしょうか?

 

A:

自分が信頼できる人をひとりでも作ることが大事ではないかと思います。この子にはなんでも話せるとか、素の自分をさらけ出せるな、という人が一人でもいると違うと思います。

今は、私にとって、本当に信頼できる人は一人いませんが、相談したいことがあれば、その人に話すようにしています。

もちろん何か相談したいことがあれば、話をできる人は何人かいます。でも、その人が私のことをどのように思っているのかを想像すると、なかなか素直に自分のことをアウトプットすることが難しいとも感じています。自分が見た関係性よりも、相手が私をどのような関係性で見ているのかを考えてしまうのです。

 

例えば、相手からしたら、私がこのような相談をしたら迷惑かな、と感じてしまったりして、何も相談せずに終わってしまうとかもあったりするのです。

信頼できる人を増やすためには、自分のことを打ち明ける。自分はこのような人ですよ、とSNSでも発信して、受け入れてくれる人。

どういう病気を持っているかは詳しくは知らなくても、難病を持っていることを知った上でも、今までの関係性でいてくれるとか、そういう人は100%ではなくても、信頼できるかなと思っています。

 

A:
やりたいことがわからない人と悩んでいる人は、どうすればいいと思いますか?

 

Q:

ちょっとでも自分の興味あることにチャレンジした方がよいと思います。「これが食べたいな」とか「これがやりたいな」と思ったことに対して、やってみると言うことです。

自分の欲求を法律に触れない範囲で満たしてあげることが大切だと思います。

 

私は、たまたま見たテレビ番組でガラスの世界を知りました。それは本当に人生を決定づける出会いではありましたが、その他にも、高校時代にはアーチェリー部に所属して東海総体に出場することができるくらいに打ち込んだこともあります。

それは、入部する時に「アーチェリーって珍しい。なんとなく面白そうだな」というちょっとした興味から入ったのです。だから、本当に「ちょっと」でも心に触れたものがあれば、実際にやってみてください。

 

取材を終えて

 

大河内愛美さんは、レックリングハウゼン病という難病を抱えているのですが、そうしたことを感じさせないような前向きさがありました。

 

小学生の頃からいじめを受けて、多感な時代に、友達もできず、ほとんど会話もせずに過ごしたことは本当に苦しいことだったと思います。

でも、そうした歴史が「あのときに比べれば、大抵のことは大したことではない」とパワーに変えているのです。

人生をトータルで見たときに、一見、悪いことにように思えることが、実は、未来の糧になっていたということはとても興味深いことでした。

 

現在は、今までの苦しさを埋め合わせるかのように、ガラス工芸のみならず、レックリングハウゼン病の啓発活動や被写体等のモデルにも挑戦しているとのことです。

 

大河内愛美さん、どうもありがとうございました!

 

今回のお話し:大河内愛美 さん

1994年 愛知県名古屋市出身。小6の時にガラス工芸に出逢い作家の道を志す。大学でガラス工芸を学んだ後に瀬戸市新世紀工芸館で2年間研修生として制作活動に励み、2019年4月からフリーランスで作家活動をはじめる。工房をレンタルして制作活動を行っている。また、先天性の難病(神経線維腫症I型)を患っていて、”認知度を高めたい” “見た目からの偏見を減らしたい”と言う想いから、発信活動も行っている。
【ブログ】
https://www.manamiokochi.com
【Instagram】
https://instagram.com/manamiokochi
【ネットショップ】
https://manamiokochi.official.ec
【LINE@】@htv1852c

 

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