「苦悩」を数学的に計算すると「希望」に通じる意味が存在した/ヴィクトール・フランクルの公式
生きていると、苦悩に悶絶して夜も眠れないような日もあります。
「アタシは、楽観的にいくことに決めているのです。だから苦悩なんかしません!」というポジティブな人も多くなってきたと思います。しかし、いくらポジティブシンキングが良いと思っていても、苦悩する日々にエネルギーを消耗してしまっている人もいます。
もし、あなたが苦悩した毎日に苦しんでいるのであれば、そこに希望を見出すにはどうしたら良いのでしょうか。
ヴィクトール・フランクルの公式
ヴィクトール・フランクル(Viktor Frankl)は、1997年に亡くなったオーストリアの心理学者、精神科医です。第二次世界大戦中にナチスドイツ下のアウシュビッツ強制収容所での体験を描いた「夜と霧」の作者としても知られています。
ヴィクトール・フランクルのことを知ったのは、今年の4月にNHK(Eテレ)で放送していた東京大学教授の福島智氏と柳澤桂子氏との対談を観ていた時です。
そして、昨日、何気なくテレビをつけたら、その再放送がやっていました。4月の放映時には、あまり意識していなかったのですが、再放送でとても興味を惹かれる言葉がありました。
絶望とは、苦悩から意味を差し引いたことをいう
つまり、絶望とは意味なき苦悩である
ヴィクトール・フランクルは、意味のない苦悩が絶望だというのです。逆に、意味のある苦悩であるならば、それは絶望ではないことになります。
このことを、9歳で全盲になり18歳で聴覚をも失った東京大学教授の福島智氏は、数式に当てはめて、何かの解(かい)を導こうとしていました。
絶望 = 苦悩 ー 意味
ヴィクトール・フランクルの言葉を数式に置き換えると、「絶望=苦悩ー意味」となります。
そして、この数式を解いていくと、次のような解が得られました。
数式の法則に則って「意味」を左辺に移項します。移項(いこう)とは、数式の一方の辺の項を符号(+ー)を変えて他方に移動することなので、反対側の左辺に移項するとマイナスがプラスに転じます。
絶望 + 意味 = 苦悩
(確かに、絶望に見えることであっても、そこに“意味”があるのであれば、それは苦悩に過ぎないということでしょう)
次に「絶望」を右辺に移項します。右辺に移項すると反対側に移すため+がーになります。
意味 = 苦悩 ー 絶望
(苦悩から絶望を差し引くと“意味”が残る、ということですね)
福島智教授はさらに考察を進めます。
絶望の反対語は何か。
絶望の反対語 = 希望
…ということで、「意味 = 苦悩 ー 絶望」の「絶望」のところに「希望」を代入します。
しかし、「意味=苦悩ー絶望」の数式に、絶望の反対語の「希望」を代入するためには、「ー絶望」の部分のマイナスをプラスに反転しなければなりません。
そして、次の数式を導きます。
意味 = 苦悩 + 希望
つまり、意味とは、苦悩に希望を加えたものだったのです。
全盲で、かつ聴覚も失った福島智教授は、人生の意味を「苦悩+希望」と定義しました。
これは、ヴィクトール・フランクルの公式から導き出した、人生の意味に対する解です。
「意味=苦悩+希望」が意味するもの
いくら、「苦悩には意味があるから絶望ではない」と言われても、苦悩の真っ最中で、もがいているあなたにとっては、「苦悩=絶望」と映ってしまうかもしれません。
現に、苦しんでいるし、この先に希望があるなんて信じられないでしょう。
このような記事を書いておきながら、今現在、私も苦悩することはしょっちゅうです。
思ったように売り上げも上がらないし、資金はものすごい勢いで激減していく一方。このままでは路頭に迷うのも時間の問題ではないか…と眠れない夜を過ごしたこともあります。
しかし、そんなことを話してしまえば、努力が足りないとか、大変なのはオマエだけじゃないとか、甘えているとか、、、いろいろとマイナスな非難を受けてしまいます。
だから、こうしたことは、本来、苦難を乗り越えて、大変な事実が過去のものになった時に、「あの時は大変だった・・・」と振り返って話せるようになるわけです。
大変な状況の時に「大変です」という人はほとんどいません。そのようなことを言うのは、恥ずかしいことだとか、自分自身の問題だから・・・と、みんな自分の内に秘めてしまうからです。
余計に孤独になるし、相談もできず、さらに苦悩が苦悩を呼んでしまいます。
この記事は、苦悩に打ちひしがれているであろう「あなた」に向けて書いていますが、その「あなた」とは、自分自身でもあるのです。だから、こうして、無理やり自分を客観視できるようなことを書いて、苦悩はしても絶望しないように言い聞かせているのです。
でも、これは私だけの問題ではなく、みんな平気な顔して、実際には苦悩している人も多いのです。
なんでもない笑顔の裏には、実は苦悩もあります。
そうした「苦悩」にも、「意味」があるのだ、と考えていかないと、本当に希望を失ってしまいます。
苦悩からほんの少しでも離れてみる
もし、苦悩にどっぷりと浸かってしまっている人は、ほんの少し、その苦悩の世界から、はみ出した自分をイメージしてみるのです。いわば、客観視してみるのです。
「苦悩には意味がある。だから絶望ではない」というのは、ヴィクトール・フランクルの公式でした。
彼は、ナチスドイツによるアウシュビッツ強制収容所に収容されるという、明日をもしれない絶望的な状況の中、わずかな希望を見出して、奇跡的に生き延びました。
奇跡的に生き延びた人には共通の特徴があったと言います。
それは、苦悩こそしているが、わずかでも決して希望は失わなかった、ということです。
アウシュビッツの強制収容所に連行されると言うのは、当時においては、ほとんど死を意味しました。すぐに処刑されなくても、極寒で劣悪な環境、過酷な強制労働に身を置かなければなりません。監視も厳しく、逃げられる隙はないのですから、どうしようもありません。
それでも、時たま現れる夕焼けに幸せを感じ、仲間が歌うささやかな歌に、わずかな希望を見出していたのです。
それが、絶望的にみえる苦悩の世界から、1ミリでも視線がずれた瞬間だったのです。
これを図にしてみました。
苦悩にはまっている時は、苦悩の世界しか見えません。それがすべてと感じてしまいます。
しかし、ほんのすこしでも、苦悩の世界から離れてみることができれば、苦悩の中には、何かしらの意味があるはずだ、と気づくことができます。
「今、自分が苦悩していることには、何かしらの意味があるはずだ、意味がないわけはない」とわかれば、それがフックとなって、その意味を考える、そして感じることによって、希望が見えてきます。
「意味 = 苦悩 + 希望」でした。
だから、「意味」の中には「希望」が含まれているのです。
苦悩しているあなたは、本当に苦しいのだと思います。苦しいと言うことさえ言えずに、それもまた、自分をさらに苦しめているのでしょう。
でも、あなたが感じているその苦しさは、「苦悩」なのです。
「どうしてこんなに苦しいんだろう・・・」
「本当に、この苦しい体験には、意味なんかあるのだろうか・・・」
「この苦しさは絶望ではないのか・・・」
・・・苦悩の世界から、1ミリでもいいから、顔をあげてください。
その苦悩を与えた宇宙は、あなたに何を学んで欲しいと思っているのでしょうか。
1ミリはみ出した視線の先には「意味」があります。
そして、その意味の先には「希望」があるのです。
この世界は不確実です。何が起こるかわかりません。そして、私たちの思考そのものも不確実なのです。たった1分後に、自分が考えているであろう思考すら、予測できないのです。
例えば、この苦悩についての思考を1分後にもしているはずだ、と考えたとします。しかし、実際に1分経った後に頭に浮かんでくるのは「今日の夕飯、何にしようかな」ということかもしれないのです。
自分の思考すら不確実なのですから、この世界は輪をかけて不確実なのです。
・・・ということは、今、苦悩していても、希望へのチャンスは存分にあると言うことです。
苦悩から、ほんの少しだけ、視線をずらす。
そうすることで、この苦悩の意味を、そして、希望を感じるとることができるのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
【ヴィクトール・フランクルの公式】
絶望とは、苦悩から意味を差し引いたことをいう
つまり、絶望とは意味なき苦悩である
「絶望=苦悩ー意味」から導き出した公式は、「意味=苦悩+希望」でした。
苦悩の中には意味があります。苦悩は絶望ではないのです。
どうか、ほんの少し視線をずらしてください。そして、その先にある意味を感じてください。