本当は教えたくないけど「もうダメだ」という絶望の淵にいる人には教えてあげたい救いの空間/京都嵯峨野の直指庵
秋が深まって紅葉の季節になると、京都はどこも大混雑。
しかし、そんな京都にも喧騒から離れて静寂を味わうことのできるお寺があります。このお寺はいつまでも静かで落ち着いたところであってほしい、という個人的な願いから、秘密にしておきたいとっておきの場所です。しかし、本当に「もうダメだ・・・」と落ち込んでしまっている人には、ぜひ訪れてほしいお寺でもあります。
そのお寺の名は「直指庵(じきしあん)」。
美しい紅葉を眺めることができるところでありながら、紅葉シーズンもあまり混雑することなく、ひっそりと静寂を保っている貴重なお寺です。
今回は、どん底に落ちそうになった時に、きっと心を慰めてくれる直指庵を(こっそり)紹介します。
浄土宗 祥鳳山 直指庵
一応、お寺という表現をしていますが、実際には、お寺の名前である寺号(じごう)はありません。
「庵(あん)」とついているように、もともとは僧侶がお仕事をするための質素な住まいでした。
京都駅からJR山陰本線で嵯峨嵐山駅まで行き、そこから北へ歩いて30分くらいのところにあります。初めて行く人はちょっとわかりにくいかもしれません。
嵯峨嵐山駅からバスに乗って大覚寺まで行って、そこから歩く人もいますが、直指庵までの道のりも趣のある風景なので、ぜひ歩いて訪れることをお勧めします。
拝観料は大人500円、子供400円です。
思い出草ノート
直指庵といえば、「思い出草ノート」です。
8畳ほどの小さな本堂に、そっと置かれているA4版のノート。直指庵を訪れた人が自由に心の内を書き残していきます。
ノートには「そっとその意地を私に捨ててください。苦しむあなたを見ているのがつらいのです」と、添えられており、ほぼ毎日、誰かしらが思いの丈を綴っています。
そして、その営みは50年以上も続いており、すでに5000冊を超えると言います。
思い出草ノートは、小さな机に3冊くらい置いてあって、その内容を読むこともできますし、実際に自分で書き綴ることもできます。どのノートにも最終ページまでは余裕を残してあるので、3人くらいがそれぞれのノートに同時に書き込みをしても大丈夫なようになっています。
たいていの方が身分がわからないようにニックネームや下の名前だけを記しているような感じで、内容は重たいものが多いような気がしました。
そうでなくても、普段は心の奥底にしまってある癒せない悩みを吐露しているものもありました。
うろ覚えですが、
「私は順調にきているようだけれど、いつも人の目を気にして過ごしている。もっと自分らしく生きたい」
「八方美人になってしまう自分が嫌いだ」
「“あなたのためにやっている”と私はいうけれど、本当は“自分がこんなにもやってあげているのだ”ということを見せつけたいだけなんだ」
・・・と、普段は何気なく過ごしているその表情の裏にある、苦悩とも言える心の内を拝見させていただき、しんしんとした気持ちになりました。
実は、私も、この「思い出草ノート」に何かを綴ってきたのですが、今となっては、何を書いたのかさえ、思い出せません。その時は真剣に書いたと思うのですが、所詮、忘れてしまう程度のことだったのだと思います。
ただ、「忘れてしまう」というのはよいことで、人間に備わっている「忘却装置」に助けられているのかもしれません。
ずっとリアルに覚えていたら、きっと誰もが、通常の精神状態を保っていけないのではないかと思います。
「思い出草ノート」は、もしかしたら、苦悩を書き捨てることで、忘れてしまうシステムなのかもしれません。
直指庵の紅葉
直指庵は「庵」というくらいに小さなお寺です。庵(あん)とは、小さな仮住まいという意味で、いかに質素なものなのかが想像できるかと思います。
しかし、そんな直指庵でも、秋の紅葉は本当に素晴らしく、本堂の縁側から紅葉を上から見下ろすことのできる珍しい場所なのです。
そして、その佇まいのせいか、直指庵の門をくぐると誰しもしーんと言葉を発するのをやめてしまうほどの不思議な雰囲気を持っています。
ひっそりと静かに、そして、穏やかな気持ちで紅葉を眺めることができるのです。
直指庵を訪れたほうがいい人
直指庵は観光地ではありません。駅から離れたところにポツンとある感じなので、あまり訪れる人も少ないのだと思います。だから、紅葉シーズンであっても、それほど混雑することもなく、静かに時を過ごすことができます。
私はすでに2回訪れており、そのうちの1回は小さな庵で半日過ごしていました。お庭を散策したり、本堂からの景色をじっと眺めたりしていました。
紅葉シーズンでしたが、多い時でも10人くらいがいるだけで、誰もいない時間帯もありました。
それくらい、質素で静寂な空間でした。
住宅街のようなところにあるものの、周りは竹林に囲まれていて、聞こえるのは、風が枝葉の間を通り抜けるときにカサカサなる音だけです。
紅葉はただ、何も言わずに、京都独特の冷気に色を染めて行くのに身を任せているようです。
「行き詰ってしまった・・・」
「もうダメだ・・・」
「死にたい・・・」
・・・もう、自分ではどうしようもなくなってしまった時、直指庵を訪れてみてください。直指庵は、ただ、そこにあるだけで、あなたに何かをしてくれるわけではありません。
しかし、静寂が、あなたの心の声を聴き、響き渡る風があなたの気持ちを撫でていきます。
自分のダメなところ。情けない気持ち。世間に顔向けできないような恥ずかしさ。
そうしたことを思い出草ノートに綴ってみてください。
苦しむ自分を、そのノートに書き捨ててみてください。ノートに向き合うことは、あなた自身に向き合うことです。
ノートに書いたあなたの正直な気持ちは、今度は仏様が読んでくださいます。
あなたは、明日も何食わぬ顔をして街を歩いているかもしれません。
何事もなかったかのように、作り笑いをして日常生活に戻って行くかもしれません。
変えることが難しい現実を、それでも、変えたいと願って一歩でも前に足を踏み出してみる、そんなあなたを最大限の愛おしさを持って天が見ていてくれることに気づくはずです。
直指庵であなたの頬を撫でていた風が、違う場所にいるあなたを追いかけて、今日もまた優しく撫でてくれるでしょう。