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理性と本能の狭間で苦しむ「私」を救え!/本能を解放してストレスを解消する方法

 
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心理カウンセラー/調香師 「すべての人が自分らしく生きられる社会」を夢見て、心優しくも励ましが必要な人たちの手助けになればと思っています。 フレグランスデザインでは、あらゆる香りを創ることができます。
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人はいくつものペルソナをかぶっていると言われます。

会社での顔であったり、家庭での顔であったり。ときに母親の役目や妻の役割を果たしているかもしれません。
外で人に会う時には友人としての自分であったり、初めましての自分として会うこともあるでしょう。

要するに、その場面場面で、自分という仮面をかけ替えて生活しているのです。

 

ほとんどの人は、職場で働いているでしょうから、一番長くかぶっている仮面は「職場の中の私」というものでしょう。

そして、どうやら、その「職場の中の私」という仮面を被り続けていることに苦しみを感じている人が多いのです。

 

それは、いったい、なぜなのでしょうか。そして、どうすれば、苦しみから逃れることができるのでしょうか。

 

「職場の私」は「本来の私」から離れている

 

特に職場では何事も理性的に振る舞うことが要求されます。

 

きちんと机に座って仕事をしないといけないし、電話をするにも人と話をするにしても、感情的な態度はタブーとされ、理性的な対応が求められます。

 

そこには「こうしてはいけない」「こうあるべき」という理性が支配する世界です。こうした一定のスタイルがあるからこそ、職場では秩序が保たれているとも言えます。

会社の目的は、利益追及と社会貢献ですから、その目的に向かって仕事をしていくには、整然とした秩序が必要なわけです。

 

職場で眠たいからといって、好きな時に横になって寝ている人はいませんし、仕事中に寝るとしても、椅子に座って目をつぶるだけ、というなんとなくの配慮はするわけです。

職場の中でワーワー叫び続ける人はいませんし、どうやら、男性社員も女性社員もみんな紳士的に、淑女的に振舞います。職場というステージの中では、それぞれのキャラクターが画一化されていくのです。要するに、みんな同じような人になる、ということです。

 

しかし、ほぼ一定の枠の自分を当てはめて仕事をしているということは、本来の自分とは異なる自分を演じている、ということです。または、職場での自分も本来の自分だ、ということでパラレルに仮面を付け替えている人もいるかもしれません。

 

理性と本能の狭間で苦しむ私

 

特に、本来の自分と異なる自分を演じている場合、それは、本来の自分とは違うわけですから、自分の中にギャップが生まれてくるわけです。

 

「おとなしいふりして、本当はハッチャケているんだけどなぁ」
とか
「このやろぉ〜!と思うけれど、ここは冷静に行かなくては・・・」
とか、いろいろあるでしょう。

 

要するに、職場にいる間には、いわゆる「大人な態度」を取り続けているのです。

 

職場でのあり方という型に当てはめている理性的な私。

思ってもみないことを外向けには言わないといけないし、態度にも表さないようにしなければならない、というプレッシャー。

そして、職場の秩序を保つ、という一点に集中した職場生活。

 

こうした理性が働くのは、私たちの「大脳新皮質」という一番外側にある脳とされています。

この脳は人間が一番発達しており、だからこそ理性的に振る舞うことができるわけです。

 

しかし、その下にある「大脳辺縁系」は、人間の欲求や、怒りや悲しみ、嬉しいという情動をつかさどる脳。

つまり、理性的な態度をとればとるほど、この「大脳辺縁系」の欲求や情動は抑圧されるのです。

 

ここに、ストレスが発生する原因があります。「なになにしなければならない」「こうするべきだ」「こうしてはならない」という理性的な振る舞いは、本能の脳とされる「大脳辺縁系」を圧迫します。

理性(大脳新皮質)>本能(大脳辺縁系)…の場合にストレスが生じるのです。

ですから、理性と本能の狭間で苦しんでいる状態は、理性によって本能が抑圧された状態とも言えます。

 

これは、真面目に物事を考える人ほど、理性的に振る舞う傾向があり、抑圧の度合いが強いとされています。

これが続くとストレスは大きくなっていき、やがて自分でコントロールできなくなってくると、自分が壊れてしまうのです。

 

時には本能を解放する

 

それでは、理性と本能の間で苦しんでいるとき、いったいどのようにすれば良いのでしょうか。

 

職場で働いている以上、どうしても大人な態度(理性的な態度)を取る場面が多くなるのは仕方がないでしょう。

しかし、いつも理性が優位のまま生活していると、本能の部分(大脳辺縁系)が満足する時がありません。
これでは、いつまでたっても、ストレスは溜まりっぱなしになってしまいます。

そこで、いつもは抑圧されている本能の脳である大脳辺縁系を解放してあげる必要があるのです。いわゆる「ガス抜き」っていうものです。

 

自分自身にストレスを解消することのできる趣味や解消法を持っている人は、それでストレスが発散されるからいいのです。会社の中で、理性的に振舞っている時間が長くても、そのストレスは解消できるので、日常生活で悩むことは少ないはずです。

 

しかし、「これをやればストレスが解消される」というものを持っていない人にとっては、やはり、ストレスはどんどんたまっていく一方です。なんとかしなければなりません。

 

本能を解放する方法

 

理性に抑圧されている本能を解放する方法をご紹介します。

 

ときどきバカになる/みんなで騒ぐ

 

馬鹿になる、というのは、今現在、感じている欲求を解放することです。例えば、お祭りに参加する、とか、踊り狂うなど、というようなことです。

 

例えば、お祭りで阿波踊りを踊ったり、お神輿を担いだりするということは、日常生活ではあまり体験しないことです。日常とは違う「ハレ」の出来事を体感しているわけですね。

踊ったりお神輿を担いだりする時というのは、「今」に集中しています。
たった今、この瞬間を「わっしょい!わっしょい!」とやっているわけです。こうした時に「明日の出張先での契約はどうなるだろう」とかは考えていないのです。今に集中して「わっしょい」をしているのです。

こうしたことがストレスの発散になります。

 

昔から阿波踊りでは「踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損損!」と、踊る側に回ったほうが楽しく、そしてストレスは吹っ飛ぶよ、ということが言われています。

 

周囲のみんながバカをやっていると、バカの状態でない自分がなんだかおかしな感覚になってきます。

 

日本でもすっかり10月の風物詩となったハロウィンもそうでしょう。

周囲の全員が仮装している中で、自分だけスーツでいたら、いつもなら真っ当な服装であるスーツでさえ、恥ずかしくなってしまいます。

日本で、ハロウィンのようなイベントが盛り上がっているのも、普段のストレスの増大が背景にあって「馬鹿になる場」を求めているのかもしれません。

 

ひとりで踊る、歌う、叫ぶ

 

バカになることはひとりでもできます。

 

部屋の中で好きな音楽をかけて踊るとか、ひとりカラオケで心置きなく歌う、などです。

海や広い公園に行って、日頃思っていることを力一杯叫んでもいいでしょう。心の奥底にたまったものを吐き出す感じです。

こうすることで、理性脳には引っ込んでもらって、本能全開にするのです。本能を喜ばせる、そういう時間が必要なのです。

 

瞑想する

 

バカになって踊り狂うことだけが本能を解放する方法ではありません。ひとり静かな空間で瞑想することも効果的です。

「今ここ」に集中することで、普段忙しく頭の中を駆け巡っている理性的な思考を止めてあげるのです。「いま、ここ」に集中している時、思考は過去や未来にはいきません。

今ここ、に集中していれば、その時間は悩みから解放されるのです。

 

悩みは過去の出来事を悔やんだり、未来に起こるであろう出来事に対して恐れや不安を覚えることで生じます。

今、この瞬間には悩みはないのです。

ですから、悩みのない時間を過ごすことで、静かに本能に登場してもらうのです。

 

まとめ

 

いかがでしたでしょうか。

職場は大人の対応(理性的な対応)をしなければならず、理性と本能の葛藤が生じる、ということを書いてきました。

そして、時には本能を解放してあげないとストレスが行き場を失い自分が破綻してしまいます。

 

本能を解放してあげる方法としては、

  • バカになる
  • ひとりで踊る、歌う、叫ぶ
  • 瞑想する

…ということが有効です。

 

ぜひ、いつもは理性の陰に隠れている本能を解放してあげましょう。

 

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