輝くみんなをつくりたい!芸能界から人材育成の道へ/飯田美心さん
幼少期には子役で舞台やテレビで活躍したという飯田美心さん。
華々しい芸能の世界から、アパレル業界に転身し、わずか2年のスピード出世で人気ブランド店の店長に。
でも、その裏では、深い苦悩もありました。
現在はフリーランスとして人材育成に取り組むコーチとして活躍されています。
今回はその怒涛の人生に迫ります。
「美女と野獣」のミュージカル それが私の原点
私が幼稚園の時に劇団四季の「美女と野獣」に母が連れて行ってくれました。ミュージカルのキラキラした世界を見て、幼心にもかなりの衝撃を受けたようです。
「このミュージカルの世界に行くにはどうしたらいいのだろう」と思いました。
「私もあそこに行くにはどうしたら良い?」と母に聞いたそうです。小学1年生ぐらいでしたが、母がバレエを習わせてくれました。
その後引っ越しをして、小学3年生になると、ダンススタジオに通わせてくれるようになりました。入学金が10万円もするような本格的なスタジオでしたが、私がミュージカルが好きなのを母は優先してくれたのだと思います。
スタジオに入ってすぐダンスに夢中になりました。
そのダンススタジオは芸能関係の養成事務所も併設していて、子役ミュージカルのオーデションなどをしている子が多くいました。
なので、ミュージカルのオーディションを受けることが身近にあったおかげで、ミュージカルのオーディションを受けることができたんですね。こちらの事務所からではなく個人で応募して受けたのですが、そこで最初に私が挑戦したのはブロードウェイ・ミュージカルの「アニー」のオーディションです。ミュージカル子役なら誰もが憧れるミュージカルですね!
会場には8人くらいの審査員がずらっと前にいて、応募者10人は横一列に並んでいました。
今でもその時の情景を一瞬覚えているのですが、一人一人、歌やダンスを披露するのですが、私が緊張して頭の中が真っ白になってしまい、満足いく演技ができなかったのです。
結果は不合格・・・。
この時ほど、悔しい思いをしたことはなく、それからは猛練習を始め、必死でダンスや歌に打ち込みました。
そうした中で迎えたのが、ミュージカル「ココ・スマイル」のオーディションです。
ここで私は精一杯の演技を見せて、主役のココ役を射止めることができました。夢見ていたミュージカルの華やかな世界にようやく行けると思うと、本当にうれしくて仕方がなかったです。
その後も、小椋佳さんのアルゴミュージカルなど、立て続けにオーディションに合格し、いくつも主役をさせていただきました。
NHKの連続ドラマでいきなり主役 でもその裏で…
ダンスに熱中し、ミュージカルに打ち込んでいたある日のこと。
NHKの連続ドラマ「どっちがどっち!」への主演の話が舞い込みました。
実は、すでにNHK内でオーディションを開催していたようなのですが、主役に当てはまる子役が見つからなかったようなのです。
NHK名古屋放送局でオーディションを受けてみると、すぐに合格通知が来て、初めてのテレビドラマに出演させていただくことができたのです。
「どっちがどっち!」は小学生6年生の男女が入れ替わってしまうドラマ。私は主役の「齋藤りりか」を演じました。
この頃は、大好きなミュージカルも主役を演じ、全国区のテレビドラマにも出演して、ということで、やりたいことが全て叶っていくような絶頂にあったと思います。
ところが、こうしたキラキラした表舞台に立てたと同時に、その裏では、様々な試練もありました。
芸能界という試練
キラキラした芸能の世界では、みんなが主役になりたくてオーディションを受けるのです。グループでの歌やダンスでもセンターになりたくて熾烈な競争が繰り広げられています。
私は本当に猛練習をして、次々にオーディションに合格していきましたが、中には、それが面白くないと感じる人もいたのかもしれませんね。
友達のお母さんに、わざと足を踏まれたり、先生などからのいじめがあったりと、周りから嫌がらせを受けることも多くなってきました。
いたずら電話をかけられたり、階段から突き落とされそうになって死ぬ思いをしたりと、今考えても、精神的にはかなり過酷な環境の中でよく頑張ったなと思います。
いじめのおかげで人間関係を学ぶ
こんなこともありました。
ダンスの公演リハーサルの時に、私との絡みでも冷たい態度を露骨に出すメンバーがいました。みんなで作り上げる素晴らしい舞台なので、私情を持ち込むのはどうかと思っていました。しかも私よりも10歳近く年上のメンバーだったので、さらに驚いたのを覚えています。
私から勇気を振り絞って、舞台の責任者の方に相談すると、「わかった」と話を聞いてくれました。
ある日、小部屋に呼び出されて、その私のことをよく思っていないメンバーも、なぜかその部屋にいて、こっちを睨むように怖い目で私を見ていて、椅子に反り返るように座っていたんですね。
私はまだ中学生で、相手はかなり年上だったので、その状況は相当怖かったのを今でも覚えています。
私が相談したかったことは、ミュージカルの練習でのいじめの問題だったのですが、相談した責任者の方は、逆に私が失礼な態度を取ったことをがあったようで、その態度を怒られて、”あやまりなさい!”と言われてしまいました。
自分は素晴らしいミュージカルのために協力して作り上げていくことを訴えたかったのに、その時はただ自分が謝りました。謝った途端にずっと耐えて我慢していた涙が溢れて止まらなくなってしまい、それを見かねたのか、責任者の方が「もう遅いから帰りなさい」というので、本題にはまったく触れられずに部屋を出ることになりました。
母が迎えにきてくれていたので、母親のところにいくと、「どうだったの?」と話し合いのことを聞かれたので、散々だったことを泣きながら車の中で話したのを今でも覚えています。
この時、「もうこのダンス公演に出たくないな。」とも思いました。
でも、その時にふと浮かんだのは、一緒に頑張ってきた仲間たちの顔でした。自分がここでやめたら、他のみんなにも迷惑がかかる。もしも、みんながこの出来事を知ったら、きっとみんなは自分の気持ちを理解してくれるだろうし、励ましてくれるのではないかと考えました。
そうすると、またやる気が湧いてきて、仲間たちのためにも頑張ろうと思えてきたのです。
その代わり、「誰が見ても私が主役で良かったと言ってもらえるように、一番自分が輝こう!」という決意をして、それからは、さらに自分の力を注いでその舞台の稽古に励みました!
舞台も大成功に終わりました!私は達成感と喜びでいっぱいでした!
大切な人を選ぶことも時には必要なこと
その反面、私のことをいじめていたメンバーは、泣きながら最後に不満を言っているのを見て、自分はこういう人のためになんでこんなにも悩んでいたんだと、自分が無駄なことに自分のエネルギーを使っていたことに気づいたんですね。
そこから吹っ切れて気持ちが変わったと思います。
もう無理だと思ったら、無理でもいいんだな、と思えてきました。
今までは、そのような人に対しても、ずっと気を使わなくてはならないと思っていたのですが、もう無理と感じる人に対してまでもエネルギーを使わなくてもいいんだな、と吹っ切れたのです。
「大切にする人を選んでもいいんだ」と考えるようになってから、今までストレスでお腹が痛くなることが多かったのですが、それも無くなっていきました。そうして、私は「選ぶ」ということも良い意味で、できるようになっていきました。
気持ちの面では、そこが人生の境目だったな、と思っています。
なので、この辛い経験のおかげで、私は強くなったし、人との付き合い方を学ぶことができたので、自分のために必要な経験だったんだなぁ、と今では感謝しています。
芸能活動を諦めざるを得ない事態に
私立中学に入学しても、しばらくミュージカルなどの芸能活動をしていました。
ところが、ある日のこと。
他の保護者から「うちの中学を芸能の学校にするつもりなのか!」とクレームが入ったようなのです。中学からも「芸能活動はやめてほしい」と言われてしまい、大好きだったミュージカルにも出演できなくなってしまいました。
また、小学生から通っていたダンススタジオで、卒業パフォーマンスがあったのですが、自分たちのパフォーマンスについて酷評されてしまったことがありました。
私たちのチームは歴代に比べてもかなり優秀な人材が多く、頑張っている子や素敵なダンサーがたくさんいたのに、あまりにもひどいこと言われ方だったので、とても傷つきましたが、私たちは自分たちのことを信じていたし、本当に素晴らしい素敵なメンバーで、最高のパフォーマンスができたとお互いにわかっていて、心がつながっているのを感じました。その瞬間にみんなが手を握り合って、みんなで涙しました。仲間って本当に素敵ですね!
その時、私はここの教育方針にはもう合わなくなってしまったと直感で感じていて、高校進学の時に引越ししたこともあり、良い機会だと思って、違う道に進むことにしたのです。
芸能活動ができなくなり、ダンススタジオも卒業・・・。
そこから、急に人生の流れが変わっていくのを感じました。
芸能界をあきらめようか…!?
高校は当時は珍しい音楽科があるところに進学しました。その中でもミュージカル科で学ぶことにしたのですが、創設されて1年目の学科だったのでまだまだ整っていない部分もありましたが…
ミュージカルから声楽へ
小学生の時からずっとミュージカルをやってきて、舞台出演の経験もあったことから、物足りなさを感じていたと思います。初めてミュージカルに触れる生徒も多かったので、授業は初心者の生徒に合わせざるを得なかったのです。
私はもっと先に行きたかったのですが、それが難しいことは頭ではわかっていました。また、時間がもったいない感覚もどこかであったと思います。
先生の教育方針も合わない部分も感じていました。
私は歌もダンスも10年以上習ってきてミュージカルなどプロの世界でも踊っていたり、演技についてもドラマにも出ていたので自信がありました。そうやってすべて上手にできることに対して先生から「器用貧乏だ」と言われてしまいました。結構衝撃でした。
「自分の才能や可能性を潰すような言葉を育てる側の先生がどうして言うのだろうか?」と先生の意図が理解できず、不思議に思ったことを今でも覚えています。
「全部できることはいけないことなのかな?」と人知れず傷ついていましたね。
衣装などについての、「もっとこうしたほうが良い」というような意見も、先生からすると生意気にうつったのか気に触ったようでした。
その後の通知表には他の子が5なのに、私には4をつけるなど、とても客観的な視点で成績をつけているとは思えませんでした。まったく初心者の子よりも成績を悪くつけられてしまったのは、とても悔しかったです。しかも、あれだけ頑張ってきたダンスの項目だったので、その時は余計に悔しかったんだと思います。
頑張っても先生の好き嫌いで成績が決まるのかと、とてもがっかりしたのを覚えています。
そこで、こういう環境ならば、このまま続けても自分のためにならないと思い、2年生に進学する時に、歌を専門的にやりたいと思った私は、声楽科に転科することにしました。J-Popとかミュージカルの歌が好きだったのですが、まずは声楽の基礎としてクラシックを学ぼうと思ったのです。
芸能事務所のオーディションでは思わぬ結果に
高校3年生のときに事務所のオーディションをいくつか受けたのですが、なかなか思うような結果になりませんでした。
大手事務所も受けたのですが、最終オーデションまではいくものの、最終選考にまでに辿り着けなかったのです。
でもその中で、ひとりのマネージャーさんに、気に入ってもらうことができて、ある芸能事務所へのお誘いがありました。
ただ、その事務所からいただけるお仕事は、グラビアアイドルとか、映画もR指定のものが多かったりしたので、「そこまでして私は本当に芸能界に行きたいのだろうか」と悩んでしまいました。
今の私では、そこまでしないと芸能界に行くことはできないのかとすごく悩んだのです。
結局、お誘いを受けた事務所もお断りすることになりました。
この段階で、私は芸能界は一旦あきらめようと思いました。まったく未練がないといえば嘘になりますが、今はタイミングではないと自分から切り替えていきました。
アパレルのアルバイトが第2の転機に
高校を卒業した私は、韓国語を勉強していく中で語学に興味を持ったので、それを生かしたいと思って語学の専門学校へ進学することにしました。本当は趣味で勉強していた韓国語がよかったのですが、「趣味にお金は出すのは…韓国語は好きだから自分でいくらでもできるでしょう」という母の言葉で最終的に英語を選択しました。
今思えば、英語を学んでおいて良かったなぁと思いますね。今後、世界に行くにしてもやっぱり英語は必要ですから。
その頃から、洋服屋さんでアルバイトをしたのですが、これが私のひとつの転機となります。
バイトの時から販売成績がよくて社員さんからも「本当に売るよね〜」と言われていました。
そんな私も就職のことを考える時期になります。専門学校を卒業する時に、他の会社も受けてみたのですが、面接官や受けている人たちの雰囲気が暗いと感じていて、あまり魅力を感じることができませんでした。
アパレルの会社に就職して2年で店長に
結局、今のバイト先が一番良いと感じて、社員試験を受けたところ合格。最初の配属は新宿ミロードでした。
バイト時代から「どうやったらお客さんに喜んでもらえて洋服を買ってくれるのだろう」と考えて販売していたので、社員になってからも、それを実践していました。
でも、最初から自信があったわけではありませんでした。バイトの経験はありますが、社員として仕事をしたことはなかったからです。
でも、私がバイトとして下の立場を経験していたので、店舗で一緒に働く社員が自信なかったら嫌だよなぁと思っていました。
だから、「できるかどうかはわからないけれど、できると決めて自信をもってやろう」と思ったのす。もちろんそれは根拠のない自信です。
しかし、それが功を奏しました。最初は根拠のない自信でやっていましたが、結果もついてきて根拠のない自信が、根拠のある自信に変わっていったのです。
そうしたら、2年間で店長になれたのです。半年3番手やって、1年半サブやって、その次に店長。たぶん、最短で店長になれたのではないかと思います。
「私」を証明したい、と感じた出来事
入社して間もない頃、こんなことがありました。
お店の出勤初日に、
「飯田さんよりも、フルタイム(パート)のほうが、よほど売っているんだけど、どういうこと?」
と責められたことがありました。私はしばらくは、まずは様子をみて全体を把握しておこうと考えていました。もちろん、メインで売りにいくこともできるのだけど、そうした私の意図も聞かずに決めつけて言われたのが、すごく悔しかったんです。
私は「私はこんなもんじゃない!誤解されて悔しい!」「“私”を証明しよう!」と、そこからスイッチが入って接客・販売を頑張って結果を出すことができました!
売上前年比70%だったお店を100%以上にすることができたのです。売上率ブランド1位の店舗にもなりました。
2年間で店長になったのも、この悔しい気持ちがきっかけでスイッチが入ったからだと思います。そう考えると、たった2年で店長になれるくらいに成長できたきっかけをくださったので、今では感謝しているのです。
お客さまに喜んで購入していただくには?
店長として後輩やアルバイトさんに接客でアドバイスすることは、たとえば、「お褒めをすること」「声がけのタイミング」「お客さまへの共感をすること」「コーディネート提案をすること」などをアドバイスしてあげることが多いです。
お客さまの立場に立ってみると、一番最初に手に取った洋服が自分に合っているかわからないものなのです。
なので、鏡で合わせた時に、具体的にどのようにお客さんに合っているのかのお褒めをしてあげることで「買いたいな」と思うようになるのです。
「デザインがカワイイから買おう」と思っても、店員から同じようなポイントを「カワイイ」と感じてもらえたら、「自分が間違っていないんだ」と自信になって、買ってくれると思います。それが共感です。「ちょうど、そこで丈があると助かりますよね〜」などと共感するのです。
そうすると、お客さまに喜んでもらい、購入してもらえることが多くなります。
いったい自分は何をしてきたのだろう
店長としてやってきたこと
私はラフォーレ原宿でも店長を務めたのですが、赴任した当初はすぐに接客に行かなかったり、お客さま優先のお店のベースとなるマインドにしっかりとなれていませんでした。
ですが、お客さまに喜んでいただくことを一番に考えて、積極的に接客に行くという方針に変えるだけで前年比140%以上になることもありました。
そうした実績から、店長2年目からは、自分が店長としてやってきたことは、お客さまに喜んでもらえる素晴らしいもので、まぐれではないということを証明したいと思い、自分の前年を超える目標を掲げて頑張りました。
自分自身に向き合う出来事
しかし、その年は、なぜかアウターが売れないことが続きました。販売実績が前年に追いつかず、いくら頑張っても結果につながらないのです。
そうしたことが、店長である私にも飛び火してきました。
その時は気づけなかったのですが、アウターが売れず、売り上げが厳しくなってみんなも辛かったのです。私はそのケアをうまくすることができず、みんなのフラストレーションも溜まっていたのです。
私は基本的な軸として「あきらめないこと」を信条としてやってきたのですが、スタッフのみんなは「私たちは店長ではないので、そんなことはできません!」と言われてしまいました。
その時は、自分自身の強みが否定されてしまったような気がして、自信を喪失してしまいました。
「自分は何のために、こんなに仕事を頑張ってきたのだろう」と本当に悩んだのです。自分がわからなくなりました。
その時に初めて自分と向き合いました。
「私が大切にしてきた部下にこんなふうにまで言われて、いったい今まで自分は何がしたかったんだろう?」
他人を変えることはできない
自分の人生を振り返ってみる
思い悩んだ私は、自分の過去を振り返って人生の棚卸しをしてみました。
その時、「自分が一番楽しかった時は何だろう」と問うたときに思い浮かんだのはミュージカルでした。
「誰かから勇気をもらった」「楽しかった」それが私のモチベーションであることに気がつきました。その時に、みんなにも、もっと自信や希望を与えたかったんだ!と今まで自分がこんなにも仕事に全てを捧げて頑張ってきた意味がわかったんです。
「私はみんなにそれを伝えたかったんだ!」と気づいたんですね。
どうしたら希望を持ってもらえるかと考えて、スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣」を読んだり、セミナーに行ったりして勉強しました。
そうして、今までやってきたことは間違っていなかったと確信したのです。世の中に喜んでいただけることとは何か?そのあり方や考え方を、もう一度みんなに伝えたいと思いました。
自分は昔からポジティブなほうですが、スタッフの中にはネガティブな人もいたので、ポジティブに考える方法をどのように教えているか、伝えているかを知りたくなりました。
伝え方を知るために、人材育成をやっている方の本を読んだり著者に会いに行ったりもしました。
やればできる!という信念
やはりセミナーや本などで学んでいくと「やればできる!」という考え方は間違っていないんだ、と確信するものが大いにありました。
私は「絶対にできる!」と思ったら、それは「できる」と思っています。自分で今までそうやってやってきたので、信念があったんですよね。
でも、そのことを他人に言うと「それは飯田さんだから!」と言われてしまっていたのですが、「私の考え方はやっぱり間違っていなかった!」と学ぶたびに思えてきました。本当の自分を思い出していったんですね。
今まで自分が体験してきたことの意味なども、学ぶにつれて、わかっていって、人間関係での悩みがどうして起きるのかなど、ネガティブな出来事が示していたものを自分にとってプラスに受け取ることができるようになっていきました。
例えば量子力学。
「疲れた」など負の言葉を言うと本当に疲れるので、私はそのようなことをあまり言わないようにしているのですが、結構言う方も中にはいますよね。
「量子力学は、発した言葉がオーダーになって、それが返ってくる」と教わったのです。
「なるほど〜!」と思いました。私がそういうネガティブな言葉を発することが、無意識であまりしたくないなぁと思っているのがなぜか、分かった瞬間でした。
なんだか新しい世界の開拓、というか、自分の目に見えない世界の仕組みから、自分の考えていたことの裏付けも取れたこともよかったです。
量子力学とは、目に見えない素粒子以下の世界の学問です。例えばWi-Fiの電波目に見えないけれど、ちゃんと拾って送信受信できているということは「ある」ということ。
目に見えないけれど存在する。それを科学的に証明していくのが量子力学です。
言葉とか椅子、は目に見える。熱とか言葉とか祈り、香りは物質ではありません。目に見えないものの動きや、その仕組みを知ると現実世界のこともわかりやすく説明できると思いました。
自分たちの意識次第で世界は変わるので、一人ひとりの意識が変われば、世の中、本当に変わるんじゃないか?…と感じるのです。
だからこそ、私は自分の今までの経験や学んだことを活かして、悩んでいる人の考え方や捉え方を変えて、「自分を変えることで人生を変える」お手伝いがしたい!と思いました。
人材育成のことをを学んで「他人を変えることはできない。自分のあり方を変えることが大切」と言うことを習い、これが本当に衝撃でした。
今までたくさんのことを経験してきましたが、それもすべて自分が変わるため、自分が成長するために起きてきたことだったと腑に落ちた時、今まで自分が辛い体験をしてきたことの本当の意味がわかった瞬間でしたね!
やりたいことができないのでは時間がもったいない
ところが、本やセミナーで学んだことを職場でアウトプットしていたら、「あなたがやっていることは業務違反にあたる」と言われてしまったのです。
会社のためにも、スタッフのためにもなると考えていたのに、私がやりたい人材育成に関わることを禁止されてしまい、モヤモヤしたものが残りました。
その時の仕事が嫌だったわけでも、辞めたいと思っていたわけでもなかったのですが、今の状況を考えると、やりたいことができない環境でこのまま頑張り続けるよりも、やりたいことに挑戦したほうが自分の可能性は広がると思いました。
この出来事から、「この会社から卒業する時がきた」というメッセージを感じました。
自分がこれまでたくさんの経験や学びをしてきたことで、一瞬ネガティブとも思える出来事をポジティブに捉えられることは、本当の自分の成長へつながる!と確信になった出来事でもありましたね。
きっと私が成長したからこそ、さらなる成長のために次のステージに移る時、チャレンジする時が来たと考えたのです。
私がいた原宿の店舗は、誰にでもできる店舗ではないと言われていて、抜擢していただきました。しかし、私がいるからモチベーションがあがる、任せられる、と言うことは嬉しいことでもありますが、その反面、私がいなきゃできないまでなると、それは依存とも言えるし、その負担が自分の応えきれない大きな負担になっていたのも事実です。この依存から抜け出すことが、私も成長することができるし、今後の会社の発展にもつながると感じたのです。
「本当の意味で自分が自立することが、きっと会社と部下の自立につながる」より良い未来の方向性が見えました。
今の状況の中で頑張り続けるよりも、自分がやりたいことに挑戦したほうが自分自身がもっと成長できる!と未来が見えたので、自分の可能性をもっと信じてあげて、自分のやりたいことで起業しよう、という結論に達しました。
「自分にあるものに気づく」そんなきっかけを与えるのが私の使命
現在は、目標設定や自分軸を考えるセミナーを開催しています。また、今までの経験を生かして、販売や接客の講演などをすることもあります。
例えば会社の人間関係。
みなさんは、嫌なことがあると逃げてしまうことも多いと思います。でも、きちんと向き合うことで超えられるのです。そのほうが実は楽だし、生きやすいし幸せなんです。
そのことを知らない人が多いと感じています。自分の悩みの根本的な原因を取り除くことが、一番の「幸せへの近道」なのに、です。
そのようなことをもっと知って欲しいと思っています。そのために自分のことをもっと知ってもらう取り組みをやっていく必要があると考えています。
今はYouTube「美心的人生学」チャンネルで発信などもさせていただいていますが、今後は、私とご縁のある方で、心のつながった仲間、コミュニティを作ろうと動いています!本当の自分でいられる、ここの帰る場所、居心地の良いhomeのような、あったかいコミュニティをつくることが今の私の夢です!
みんなまわりの目を気にしています。それはとても自分自身を苦しめてしまうことにつながります。時には駆け引きしたりして行動することも見かけます。誰かによく思ってもらうために生きている。そうではなくて、「自分を生きることがどういうことか」を知っていることが大切なのです。
だから、私はたくさんの人、それぞれに「自分自身が輝く世界」を作りたいと思っています。これからは、そのような活動をやっていきます。
自分自身が本当に大切にしたいものは何かに「気づく」ことが大事だと思っています。そんなきっかけを与えるのが私の使命なのではないかと感じています。
まだまだ駆け出しですが、より多くの方が、自分自身の魂が心から望む人生を楽しみながら生きていくために、どんどん色々なことにチャレンジしていきます!
これからたくさんの仲間に出会えるのがとても楽しみです!
ちょこっとQ&A
Q:
やりたいことがわからない…ということに悩んでモチベーションが上がらない人がたくさんいます。そのような方に対してはどのような言葉をかけたらよいのでしょうか?
A:
「やりたいことがわからないって、本当にそう?」と聞きます。
「やっていて楽しいことや好きなことはない?」と。
みんなは頭で生きているのです。でも、心に聞くことを日頃からすることが大事だと思います。
例えば、コーラが飲みたいとします。でも「体に悪いからミネラルウォーターにしよう」とか頭で考えて行動する人が多いのではないでしょうか。
本当に心が望んでいることをすることが、自分自身を大切にすることだと思っています。
「食べたいな」と思ったものを買ってみる、とか少しずつでいいからやっていく。
他人に迷惑をかかるとか、そういうことを考えずに心に聞く、そうして制限をとっていくと、自分のやりたいことに気づく時がやってくると思います。
今回のお話し:飯田美心 さん
BeautySoul JAPAN 代表
あなたの「なりたい!!」を叶える
Lifeクリエイトコーチ
https://linktr.ee/mikoiida
小学校3年生から芸能活躍を始め、2002年にはNHKドラマ「どっちがどっち」で主役を務めるなど、芸能界で子役として第一線で活躍。
その後、10年間大手アパレル企業にて、接客販売・店舗運営を極めて、店長を務め、「より多くのお客様に喜んで頂く」をモットーに数多くの業績を残す。年間で5000万円以上の業績UPや毎年前年超えの結果を出すなど、数多くの業績を残す。
また、短期的な結果ではなく永続的に結果を残すことが重要と考え、心理学や脳科学、量子力学などを学び、カウンセリングやコーチングの技術も習得。
スタッフの育成に力を入れて、仕事にやりがいを持って主体的に行動し仕事を楽しむことによって、成果を最大化するチームビルディングやマインドセットなど、組織の土台作りに長けている。
目の前の現実や出来事を変えるには、スキルよりもまず、マインド、つまり心を変えることが何よりも大切だと気付き、幸せも成功も自分の心が全てであることを実感、体験し、それをもっと世の中に伝え、「本物の成幸」をより多くの方に届けるため起業し、現在は企業研修や講演、セミナー、個人セッションなどを行ない、「自分自身を知り、自分自身の本当の強みや魅力に気づき、心から望む現実や人生を創る」コーチとして、無限の可能性を咲かせ「自分自身を輝かせる人」を世の中に増やしている。